こんにちは、ピスケスです。
昨日10月15日はてんびん座で新月でした。
そして、新月と金環日食が重なるという珍しい日でもありました。
昨日の金環日食は日本では見られず、アメリカ各地で観られたようです。
アメリカで観測できた方、うらやましいです!
金環日食は、太陽と月と地球が一直線に重なった時、太陽の大部分が月に隠れて見えず、太陽が金の環(わ)のように見えるため、このように名付けられたそうです。
日食が新月と同じ日に起きると、新月の力が増すといわれていますが、このブログを読まれている皆さんには何か特別なことがありましたか?
私は昨日のブログでは、金環日食が起きることは知っていましたが、特にそのことについては触れませんでした。
日食や月食は、古代では不吉なことが起きると噂されていたので、ポジティブなイメージではなくどちらかというとネガティブなイメージが強いですし、太陽と月が重なるごく僅かな時間ですので、個人レベルではそんなに影響はないかなと考えたためです。
世界規模では大きなニュースがすでにありますね。
しかし、一人ひとりの胸の内に、昨日の新月に何かささやかなことでも、小さなことでも、自分の生き方を変える何かがなかったか、思い返してみてください。
私はありました。
私にとっては、とても大事な、大きな大きな存在が、私の中で失われた日でした。
義母(はは)の死です。
昨日はとても、ブログを書く余裕がなく、今日も無理だと思ったんですが、どうしても夜中に目が覚めてしまい、何かしていないと落ち着かないので、とりあえず何か書くことにしました。
世の中には、嫁姑で悩んでいる人が数多く存在するというのに、私はそれとは全く無縁でした。
亡くなってしまったので美化されているわけではなく、本当に良い母でした。誰にでも優しく、強い母でした。最期まで、義父や子どもに、最小限の心配しかかけないようにして旅立たれました。
絶対に真似のできない強さと優しさを持っていました。
私は、義母と一度ももめることがなかったので、本当に幸せな嫁だったと思います。
昨日のブログでは、まだ少しでも長く生きたいなら手伝おうと、もう旅立ちたいのなら逝かせてあげようと、義母のことを思っていました。
夫とも、そのように話しました。
誰だって大事な人とは別れたくないけれど、それを止めることは誰にもできません。
私にとって昨日は、私たち夫婦が子どもという存在として義母に甘え続けることをやめ、義母を、母親という役割から解放してあげる日でした。
占星術に興味を持ち、独学ながら勉強し、書くことで頭に入ると思ってこのブログを書き始めてからというもの、やはり星の動きをよく意識するようになりました。
夜空を見上げ、季節の星座を探したり、星空をよく観察するようになりました。
ある日の夜明け前の空に、彗星のように大きな流れ星を発見したりもしました。
自分で「意識することが大事」などと偉そうに書いておきながら、「本当に意識すると天体の力をもらえるんだな」と今頃実感しています。
私には、金環日食と新月の作用が大きく働いたようです。
義母は最後に起きていた時、3人の子どもたちと会話でき、病院に入って面会することが叶わなかった私と私の娘の様子を聞いてくれ、安心したのか薬が効いて眠りました。そしてそのまま目が覚めませんでした。
なんと安らかな最期だったことでしょうか。
義母らしい、それも真似したくてもなかなかできない最期ですね。
今日は私事ばかりの話になってしまいました。すみません。
おかあさん、私を娘にしてくれてありがとう。心から感謝します。
keiha
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